保釈中元国際的経営者の国外脱出
15億円を担保に保釈された元カリスマ経営者が、少年時代を過ごした国に、無断で脱出したらしい。事実とすれば、この国のガバナンスは、恥ずかしい。徹底的な検証と再発防止が急がれる。
少なくとも、最新の技術や国際的知見などを取り入れた保釈中の監視態勢の実現が必要と思う。
保釈に直接関与した組織、例えば弁護団や裁判所は、責任を転嫁すべきではないはずだが、果たしてどうだろうか、きっと責任転嫁して、うやむやになるに違いない。
金持ちや権力者は、何でも有りなのか。憤りを覚える。
納得しがたい判決
6人を理由なく殺しておいて無期懲役に減刑されたり、あおり運転の挙げ句、結果として2人を死に至らしめたのに、手続きや事実認識などに問題があると差し戻しされる判決が出ている。
法律解釈などの専門性からは、合理性があるのかも知れないが、個人的には全く理解できない。そもそも完璧な「決まり」や解釈などはないはずで、不断の改正や立法、学習などが不可欠なのに、さまざまな要因で、行政も政治もそれらを怠るなかで、司法は、法律解釈や手続きなどにおいて、その法律のそもそもの趣旨や社会通念、遺族や納税者の納得性、手続きの遅滞なさなどを総合的に勘案すべきではないだろか。
裁判官は、極めて独任性が強い立場にはあるだろうが、組織を構成する一員でもある。
当たり前とも思える行政手続き、法律改正や判決が出来ない背景には、組織がもつ構造的な弱点があるのかも知れない。
読解力
日本の子供の「読解力」が、国際的に見て、また低下したと話題になっている。このようなランキングは、そもそも「眉唾」のところがあるので、一喜一憂するのは、それこそ、自身の読解力を問われかねない。たとえば、SNSのせいなどと決めつけるのは、得策とは言えない。国際的な比較よりも歴史的な比較のほうが、個人的には興味深いが、残念ながら知見をもたない。
ふと浮かんだことは、共通テストかなにかで記述式問題を出すことに異論が多かったこと。大人の多くが、記述式問題の採点の公正性などに不安がある状況で、子供の読解力を心配するのは笑止。合理的思考を育てるには難点がある日本語を使う民族として読解力を着けたいと思うなら、試験に記述式を用いることを恐れるなと言いたい。
そう言えば、記述式問題の採点の難しさなどを評価した調査が、マスコミで紹介された。模範解答には三つのポイントが示され、採点に利用したらしい。この三つが、全てではないはずで、まさに採点者の力量が問われる。
公正性や公平性を言い訳に、人間として不可欠の資質や能力を磨くことをおそれる国が、原子力発電のような、しっかりした覚悟と合理性思考で担保されるものと、うまくつきあうことは難しい。
「いじめ」のニュース
「いじめ」問題が、よくマスコミで取り上げられる。いろいろと疑問に思うことがあるが、一番は、犯罪行為と感じるものまでが「いじめ」と称されていることだ。その要因はさまざまだろうが、組織の「ことなかれ」主義的体質もあろう。
何か起きると、面倒なことにならないようにしたいのが、組織の常だ。うまく処理する人間の評価が
高い。はやく出世する。これでは、本当に必要な人材が育つはすがない。
如才ない輩だけでなく、 面倒や目の前の不利益を恐れないでしっかり物事に向き合う人材を大事にする組織が持続的発展をとげると信じる。
福島第一の事故もまた、このような組織のもつ脆弱性が原因の一つと思っている。
オリンピック競技会場一部移転
2020年東京五輪のマラソンと競歩の会場が札幌に決定後、不平、不満や不安、不信が関係筋やマスコミから発せられているが、後の祭りだ。それぞれ、思惑があるのだろうが見苦しい気がする。道理や理由などはどうあれ、ルールに基づき決定したのだから、「ノーサイド」で互いを尊重すべきであって、速やかで合理的な事後対応に邁進すべきだ。事後聞こえてくるような意見や主張は決定前に堂々と主張し、「五輪返上」の覚悟で臨むべきであったと個人的には思う。それにしても、例えば、雪が降るとコース取りのための計測も難しいなどといっているが、どのようにして計測をするのかなどは一向に聞こえてこない。マスコミの報道姿勢や論調には、疑念がいろいろとわいてくる。