#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

東京オリンピック開催せよ

東京オリンピック開催が怪しくなって来た。コロナと戦って1年が過ぎようとしているのに、何を学び、次に生かそうとしているのだろうか。暗然とする。
元々、オリンピックに個人的な関心や興味は特段なかったし、今もない。
これまで散々、資金や労力を使って来て、それらをドブにすてる愚策は、原子力などでも経験している。この国は、このような覚悟のない空気感や合理性のない主張に、国の命運を託すことが多い。
都合がいいところでは、アスリートを持ち上げ、都合が悪くなれば、奈落の底に突き落とす。
いたずらに不安や不信を煽り、人気や視聴率、支持率などエゴイスティックなものに捕らわれてしまう。
リスクにたいする賢い向かい方を何故共有しようとしないのか。例えば、ワクチンの危険性を挙げ、その普及に尻込みする論調が根強い。
ワクチンを射たないで感染して、自身を死傷させるリスクの方が、ワクチンの副作用よりも小さいと信じているのだろうか。あるいは、人に感染させることに無頓着なのだろか。
まるで、放射線リスクの捉え方と同じ。この世に絶対安全は存在しないのに、少しでも心配になると、合理的思考ができなくなる。
コロナ下でオリンピックをどう開催したらいいかを、何故共有しないのだろうか。
いろいろ大きな競技会が、開催されている。白旗ばかりを上げてはいない。既に実績を積み上げているのに、それらの教訓を共有しようとせずに、まるで、オリンピック開催を狂気の沙汰のように非難する。
どうしたら、国際社会の理解を上手く得ながら、開催に繋げようとしないのだろうか。
推進側でも、とんでもない言動を繰り返すリーダーがいる。それこそ、任命責任を問うべきだ。
このままでは、ウルトラシー(C)(今では死語か。Cではなく、今はウルトラアイ(I))でもない限り、開催は無理だ。太平洋戦争以降、日本は、敗戦を重ねるだけだ。

権力による差別的言動

個人の差別的言動は、ある程度は仕方がないと思う。ただ、公的立場や組織人であれば、厳しく評価されるべきだ。
コロナでも相変わらず、おかしな発言が届く。
特定の地域を名指しして、来るなという。
生活圏のなかで、往き来することもあるだろうに。県境に住んでいれば、県をまたぐことは、普通の行為。
以前いた会社では、総務、人事や企画の関係者が、よくボードに座った。
組織のリーダーだから、素晴らしい言動をいつもしているとばかりは言えず、呆れるような言動も耳にした。
具体例は、まだ明らかにはしないが、リーダーの差別的言動は、一種の職業病、組織の病理ではと思っている。使命感やら自意識が不健全に増殖し、権力と責務とを取り違え、周りは、いわゆる「茶坊主」ばかりを据えてしまう。
この「茶坊主」は、なかなか賢く、いわゆる単なるイエスマンではない。時には、敢えて反対意見もいう。但し、いろいろ仕込んだ上でのこと。
直接関係ない人に仕事させて、手柄が自分にあったと、社外人に言わせることもある。競争相手を蹴落とすのも、部外者や社外を使う。
権力者は、猜疑心が強くなり、社内の声よりも社外の声に左右される。
電力会社は、何かといえば、メーカーは、どういっているかという。社員の声に耳を傾けなければ、社員はいらない、といっているようなもの。
尊敬する先輩は、メーカーの主張と戦って、会社を追われた。
私も、早々に追い出された。
おべんちゃらや、社交辞令は、絶対に嫌だ。早くに不当に死んだ兄妹に会わせる顔がない。
何故、ごますりや、要領がいい者ばかりを重宝がるのだろう。人を人事権で金縛りにするのだろう。
権力は、人事権。魔物のような力。これを味わうと虜になり、本当に挑戦すべきことが見えなくなる。
福島の事故の要因には、このような組織のなかの魔物があると思う。
本当に戦うべき相手が見えなくなるから、差別的発言もしてしまう。誰かの、何かの、せいにする。

不思議な成人式挙行

緊急事態宣言を出す一方で、成人式は自治体任せ。一体、この国はどうなっているのか?!
税金で感染リスクをわざわざ上げながら、飲食店を悪者にしている。典型的なマッチポンプ
マスコミも、得意なエモーショナルな調子で成人式を持ち上げるだけで、そのリスクを分析しない。
このような状況で、税金をセレモニーに使うことは、人殺しを税金でやるようなもの。呆れるばかりだ。
どうしても、やりたいなら、抗原検査やPCR検査を2週間ぐらい無料でやって陰性になった成人に限るなどの対応を計画して、納税者の理解を得るなどが必要。多分、賛同は得られないだろうが。
成人式、定年退職式には、行っていない。もともと、権威主義的なことは嫌いで、欠席は難しい入学式や卒業式、入社式にしても、それらの記憶は、ほとんどない。
挨拶回りや告別式なども、できれば行きたくない。
挨拶回りは、全くナンセンス。される方も、本音は、迷惑のはず。挨拶回りの道すがら、訪問先と出くわし、路上で挨拶する光景は、漫才のネタにもできるはず。
コロナの数少ないメリットの一つは、このような儀礼的、慣習的催しを遠慮なく断れることだ。

コロナと差別

相変わらず、コロナに係わる不当な差別や偏見が後を絶たないようだ。
所詮、人間だから、世界中で見られる現象だろう。
ここで言いたいのは、それらに対する、例えばマスコミの主張が、他者への思いやりや自分も罹るかも知れないという想像力等を挙げるにとどまっていることだ。
正体が分からないものは、怖い。原子力放射線と同じ。
原子力の村人は、「正しく怖がろう」と訴えていたが、何が「正しい」かは、底無し沼のように、とりとめがなくなる。
コロナは、新しい脅威だが、知見も増えている。責任ある関係者は、「ステイ ホーム」などとエモーショナルに訴えるだけでなく、科学的、合理的な知見や推測を、しっかり広めて欲しい。
だいたい、PCRで感染していないからといって、ウイルスを全く保有していない人は、もう世界中にいないはず。いるとすれば、仙人のような生活をしていると思う。
放射線と同じで、ウイルスは、誰でも保有していると考えるべき。ただ、その量が多いか少ないか、個人の免疫力の違いなどが、発症するかどうかを左右すると考えたほうが自然だ。
こう考えれば、他人の感染を不当に非難する根拠は失われる。
なぜ、専門家は、PCR検査の限界(所詮、加速試験のようなもので、検査時点での絶対値を示していない、など)を含む科学的知見を、しっかり言わないのだろうか?
感染経路不明で、自身も「心当たりが全くない」という感染者の声も伝わる。
しかし、そんなはずはない。感染リスクが高まる行動例の知見を充実しなければならない。
一向に科学的疫学調査をしようとしないで、濃厚接触者中心の検査にばかり、税金を使うのは何故だろうか。
0.1%未満の感染者の集団に対して100人の抗体検査を税金でやって、感染ゼロとアピールする意味は何なんだろう?
怪しいことが続く。
誰でもウイルスを保有しているという前提で、コロナと戦わない限り、日本は、このままでは、医療崩壊が起きる。
医療崩壊を望む勢力がいるのだろうか。
原子力と同じような間違いが、コロナ対策でも起きている。
そうして、人びとが疲弊し、無駄に金が使われ、将来に大きな負担がのしかかる。。

ゴーツーとCOCOA

感染が拡大し、犯人探しや責任の擦り付けなどが、また始まった。
一方、客観的な情報共有や検査、誰でも実行できる対応策の普及などは、期待通りには、進まない。
何故、旅をすることや飲食が、一律にダメととられかねない風潮が、沸き上がるのだろう。
まるで、マッチポンプのようだ。
例えば、ゴーツーを利用するには、COCOAの利用が不可欠などの改善ができるはず。さらには、PCR検査で陰性を確認すれば、割引率をアップすることも一案。
話は変わるが、マイナンバーカードも、ポイントをつけたのに、まだ普及が進まない。
根本的な普及策を考えないからだ。

人事権

学術会議の会員任命問題が、今なお騒がしい。
政党の支持率やマスコミの視聴率やら、動機が不純くさい。
だいたい、世の中の人事に透明性があるのだろうか?
あるなら、自ら証明しろといいたい。
学問の世界に少し身を置いた経験からすると、大学なども人事は、良く分からない。
少なくとも、任命されなかった人達が、何故だ❗というのは、みっともない気がする。
自らの胸に手を当て、自らが今まで関与してきた人事の合理性を検証することが必要だろう。
学術会議は今まで、原子力に対しても、「後だしじゃんけん」のような提言をしている。
どうせなら、50年前に提言してもらいたい。
今までの会員推薦の基準やら、その相当性を説明する責任は、まず、この組織自体に、あると思う。
決して、先に総理大臣に求めることではないだろう。
このような風潮がはびこると、会社の昇進、国の褒章など、あちこちで騒動が起きるかも!?

駅のトイレに石鹸がない

コロナとの共存が、少しずつ進んでいる。いつまでも巣籠もり状態では、なんのために生きているのか分からなくなる。
原子力も何かあると、「絶対安全といえるのか」と問い詰められたり、「神話が崩壊した」などと揶揄されてきた。
絶対感染したくないから、生きることを止めればいい。健康のためには、死になさい。
など、ブラックジョークさながらの気配やら圧力も、未だに消えない。
大学は、授業料を貰う資格はあるのだろうか。

オンライン授業だけを、まだ続けている。
電車の駅のトイレに、石鹸がない。
医療品の洋服の値札が、外から見えない。
飲食店のテーブルにアルコール除菌液が
ない。
トイレなど汚染しやすいドアが、手を触れないと、開けにくい。
などなど、直ぐにでも改善できることが、たくさん残っている。
総点検して、できるところから改善して欲しい。
コロナ時代の新たなビジネスや文化の創成やイノベーションが必要だ。

社会的距離と物理的距離の違い

「社会的距離」という言葉が、すっきり腹に落ちない。
単に、お互いある程度の距離を保とう、ぐらいの意味であれば、「物理的距離」ですむはず。
ちゃんとした理由があるのだろうが、普及する側が
明らかにはしない。無責任にとどまらず、弊害も出るはず。
例えば、コロナと、かしこく付き合うためには、「物理的距離」を確保しつつ、「社会的距離」を近くする工夫がいるはず。
全く持って、折角のメッセージが、台無しになる。

「いじめ」という言葉も、犯罪との境界をわざとあいまいにする「ことなかれ」主義が一因と思う。

原子力村でも「モックス」と呼ぶMOX燃料の利用が、なかなか進まなかったが、普通の使用済燃料と対して違わないのに、訳のわからない略語をもったいぶって付けたせいかも。
言葉を大事にしない組織は、永続きしないだろう

専門家はうそつきなのか(COVID19その5)

何かあるとマスコミには、その分野の専門家や評論家が登場する。なかには、そんな分野があるのかと不思議に思うこともある。
2011年の福島で起きた原子力災害でも、あまたの有識者が現れたが、どうみても炉心損傷が起きているはずの段階でも、それをはっきり指摘した人は、いなかった気がする。
今回も、WHOがいい例。「人から人への感染は確認されてない」「エアロゾル感染はない」「パンデミックではない」「マスクは効果なし」など、今から思えば、まるでフェイクニュースのオンパレード。
8割おじさんと揶揄されている先生もいる。個人的には、評価する点もあるが、そもそも、前提条件やら境界条件やらで、予測に桁違いの幅が出るのに、その条件や手法を明らかにしない姿勢は良心的とはいえない。
毎日、何人陽性者が出たと報道されるが、検査数などの前提条件が、なかなか示されない。
本当のことを伝えることは、難しい。みな、なにがしかの集団、組織、権威者などの影響を受けている。
結果的に「うそ」をいってしまう、「本当のこと」をいえないこともある。
それには「圧力」「恫喝」などの外的要因だけでなく、「忖度」「エゴ」「自尊心」「功名心」などの内的要因がある。なによりも、失職や裏切り者にはなりたくない。考えると、いろいろと浮かぶ。
でも、今回のような災害や災難では、その罪は小さくない。
情報を受ける側は、鵜呑みにせずに、発信者もいろいろな都合を抱えていることを想像して、上手く活かすことが、肝心。
しかしながら「コミュニケーションリテラシー」を磨くことは至難の技だ。

新型コロナウイルスと原子力の共通性

今の生活は、原子力発電所のなかの放射線管理区域で日常を過ごす気分だ。違いは、飲食ができることと、汚染していないかどうかを確認できないこと。

だから、原子力よりも始末が悪い。世間は放射線を怖がるが、放射線は簡単に測定できる。
どちらも目には見えないが、ウイルスは、すぐに検出できない。
食べたり、飲んだりするから、余計に危険。放射線は、原子力がなくても自然界に存在するが、新型コロナウイルスは、恐らく最近現れたもの。

放射線は、管理の都合上、ゼロが良くて、多いほど危ない、村人が言う「LNT」仮説というのを採用しているが、村人の多くは、それを、信じてはいない。私も、そんな馬鹿な話があるかと思っている。機会があれば、その理由を深堀したいと思っている。

しかしコロナは、LNT仮説で管理した方が、良いだろう。あるいは、もっと始末が悪い、あるレベルになると、人によっては、急に悪さをする代物と考えたほうがいいかも知れない。

似ているのは、防御の基本。放射線は、距離、時間、遮蔽だ。コロナも、社会的距離、物理的距離を取り、接触する時間を短くし、マスク、ゴーグル、防護衣などで、シールドする。

原子力発電所で備蓄している防護衣などを無償提供するとの報道を耳にしたが、タイミングが遅い。他にも貢献できることは、いろいろあると思うが、いつものように後ろ向き。
コロナに関わる、いろんな組織の多くも後ろ向きであり、前向きでちゃんとしたことをいう良心的な人を異端児として排除しているようだ。原子力村と良く似てる。

オリンピックやある国のVIPの来日にとらわれたのか、入国規制が遅くなり、蔓延させた。
医療崩壊につながるといって、いい加減な検査基準をもうけ、人手をかけただけの積極的疫学調査だけにこだわり、市中感染への対処を怠り、却って院内感染などにつながってしまった。
積極的疫学調査にこだわっていたのに、今ごろになって、検査をもっと増やそうという始末。
現場が疲弊しているというだけで、その手当てが遅くなる一方で、いろいろな人達が職を失ったり、街の医院の多くが閑古鳥状態。
積極的疫学調査中心のデータで、倍加時間や再生産数などを今頃持ち出すのは、まやかしに近い。

2011年に起こした福島第一原子力発電所の過酷事故を所外から管理したり支援したりした村人の多くも、ちゃんとした、世間に胸をはれる行動をとったといえるだろうか。
金と時間と死者まで出して異常なほど働いたのに、いまだに9基しか動いていない。
折角動いたのに、つまらない規制や判決で発電を止めさせられている。
おまけに使える原子炉の半分近くをスクラップにしようとしている。

些細なトラブルで、原子力船や増殖炉の実用化を、断念した。膨大な国費や人智を集めたあげくに。

しかも、もともと村人だった人が、規制を盾に、このような非合理な決断を下したり、関与したりした。

コロナウイルスへの科学的合理性などに欠けた対応で、社会と人の心や生活を、ぼろぼろにしてしまいそうな予感がする。

まるで原子力村と同じように。。。

COVID19(その4)

日本も、すでに感染が増えている。例えば、観光旅行。私も3月初旬に念願のイタリア旅行を計画し、代金を払っていたが、代理店から、飛行機が中国経由のため中止となり、全額払い戻しとの連絡が2月初旬にあった。もしも行っていたら、今頃このような朝を迎えていないかもと想像する。
しかし、旅行が決行され、代金が戻らなかったら、多分行っていたと思う。今感染している人達の多くは、キャンセル料を考えて旅行を止めなかったかもしれない。
何故、旅行は、前金制なのだろう。確か、旅行業法に、それを定めているはず。
この際、見直しが必要があるだろう。
毎日、マスコミの話題の多くは、新型コロナウイルス。しかし、相変わらず、視点が狭く、画一的。
たとえば、いつまで、このような状態が続くのか、無責任に問いかけることが多い。少し勉強すれば分かるはず。
この病気は、感染が広がり尽くすまで停まることはないだろう。ゆっくり増えていけば、長引くはず。
人生観や社会のありかたそのものを見直す視点からの前向きな議論や果断な対応が不可欠。
それにしても、相変わらず、情報の質がお粗末。
どこかの国のように、報道統制されているのだろうか?

COVID19について(その3)

次の投書を2月29日にしたが、これも無視。命にも関わることだから、コメントは欲しい。
「このような危機が訪れたときの適切な対応は難しい。今回も経済や社会への悪影響を恐れたのか、結果としては後手を引き、混乱を加速しているようだ。
共通する課題は、限られた関係者だけに任せずに一人一人が、被害者、加害者にならないため何ができるのか自ら考え行動することが、目先の利害よりも優先するという姿勢が欠如していることだ。
たとえば、感染検査は、隔離のためだけに行っている。
早い段階から感染検査を含む疫学調査を行い、周知や対策に活用していれば、市中感染の抑制などに役立ったと思う。
また、企業が、感染防止対策を自主的に公表している例は、なかなか確認できない。報道を使命とする新聞社でさえ例外ではない。新聞が汚染されれば、多くの関係者の感染リスクが高まる。
世界に冠たる貴紙が、新型肺炎との戦いに勝利するための勇気ある活動をリードすることを念じて止まない。」

COVID19について(その2)

次のような意見を新聞社に2月25日伝えたが、なんの回答も無かったので、ブログに載せる。
「購読者です。毎日、新型肺炎関係の報道がなされていますが、ホームページなどで企業活動などを公開している企業の多くが、どのような対策を実施しているかを積極的に公表している例を確認できません。
貴社においても、そのような報道は、紙上で確認できていません。このため、販売店にお願いしていましたが、新聞を届けるまでに、どのような感染防止対策を行っいるかを確認できませんでしたので、しばらく、配達を中止していただきました。
万一、新聞が汚染されていれば、多くの関係者の感染リスクが高まります。
今のような企業姿勢を続けていけば、新聞離れが加速することも考えられます。
日本を代表する貴社が、新型肺炎との戦いに勝利するための勇気ある活動をリードしていただくよう念じています。」

COVID19について(その1)

COVID19について、このようなブログで述べて何になるかと思い、タイトルだけ下書きのままにして、ほったらかしにしていたが、たまらず書くことにした。
組織も個人も、全くなっていない。
例えば、購読している新聞社に、どのような感染防止対策を行っているのか尋ねても、投書で喚起しても、無しのつぶてだ。
街に出れば、大きな店でもアルコール除菌液を置いていなかったり、置いていても、その消毒を促すアナウンスがなかったり、マスクを着けない飲食店が多かったり、消毒しているところを見ることが無かったりと、まるで危機意識が無い。
感染検査は、杓子定規な基準や態勢で滞り、まるで、わざと感染数を多くしていないような疑いを持つ。
トイレでさえ手を洗わない人がいたり、洗っても形だけだったりしている。
組織も個人も、自ら自律的に、あらゆる戦いを実行する必要があるのに、いったい何をしているのか。
このままでは、ますますウイルスが、のさばるのは、間違いないだろう。

オリンピックメダル候補の海外での事故

男子バドミントン世界ランキングトップの海外での自動車事故について、さまざまな報道がなされている。怪我の程度や東京オリンピックへの影響を危惧するものが多い。
大事な点が、抜けている。それは、このような海外試合に関する選手の安全管理態勢の再点検と必要な改善だ。そのような視点での報道がないのは、なぜだろう。税金も使っているわけで、しっかりした管理が求められる。
それとも、安全や命よりも成績や功名心が優先されるのか。