#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

新型コロナウイルスと原子力の共通性

今の生活は、原子力発電所のなかの放射線管理区域で日常を過ごす気分だ。違いは、飲食ができることと、汚染していないかどうかを確認できないこと。

だから、原子力よりも始末が悪い。世間は放射線を怖がるが、放射線は簡単に測定できる。
どちらも目には見えないが、ウイルスは、すぐに検出できない。
食べたり、飲んだりするから、余計に危険。放射線は、原子力がなくても自然界に存在するが、新型コロナウイルスは、恐らく最近現れたもの。

放射線は、管理の都合上、ゼロが良くて、多いほど危ない、村人が言う「LNT」仮説というのを採用しているが、村人の多くは、それを、信じてはいない。私も、そんな馬鹿な話があるかと思っている。機会があれば、その理由を深堀したいと思っている。

しかしコロナは、LNT仮説で管理した方が、良いだろう。あるいは、もっと始末が悪い、あるレベルになると、人によっては、急に悪さをする代物と考えたほうがいいかも知れない。

似ているのは、防御の基本。放射線は、距離、時間、遮蔽だ。コロナも、社会的距離、物理的距離を取り、接触する時間を短くし、マスク、ゴーグル、防護衣などで、シールドする。

原子力発電所で備蓄している防護衣などを無償提供するとの報道を耳にしたが、タイミングが遅い。他にも貢献できることは、いろいろあると思うが、いつものように後ろ向き。
コロナに関わる、いろんな組織の多くも後ろ向きであり、前向きでちゃんとしたことをいう良心的な人を異端児として排除しているようだ。原子力村と良く似てる。

オリンピックやある国のVIPの来日にとらわれたのか、入国規制が遅くなり、蔓延させた。
医療崩壊につながるといって、いい加減な検査基準をもうけ、人手をかけただけの積極的疫学調査だけにこだわり、市中感染への対処を怠り、却って院内感染などにつながってしまった。
積極的疫学調査にこだわっていたのに、今ごろになって、検査をもっと増やそうという始末。
現場が疲弊しているというだけで、その手当てが遅くなる一方で、いろいろな人達が職を失ったり、街の医院の多くが閑古鳥状態。
積極的疫学調査中心のデータで、倍加時間や再生産数などを今頃持ち出すのは、まやかしに近い。

2011年に起こした福島第一原子力発電所の過酷事故を所外から管理したり支援したりした村人の多くも、ちゃんとした、世間に胸をはれる行動をとったといえるだろうか。
金と時間と死者まで出して異常なほど働いたのに、いまだに9基しか動いていない。
折角動いたのに、つまらない規制や判決で発電を止めさせられている。
おまけに使える原子炉の半分近くをスクラップにしようとしている。

些細なトラブルで、原子力船や増殖炉の実用化を、断念した。膨大な国費や人智を集めたあげくに。

しかも、もともと村人だった人が、規制を盾に、このような非合理な決断を下したり、関与したりした。

コロナウイルスへの科学的合理性などに欠けた対応で、社会と人の心や生活を、ぼろぼろにしてしまいそうな予感がする。

まるで原子力村と同じように。。。