#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

コロナと差別

相変わらず、コロナに係わる不当な差別や偏見が後を絶たないようだ。
所詮、人間だから、世界中で見られる現象だろう。
ここで言いたいのは、それらに対する、例えばマスコミの主張が、他者への思いやりや自分も罹るかも知れないという想像力等を挙げるにとどまっていることだ。
正体が分からないものは、怖い。原子力放射線と同じ。
原子力の村人は、「正しく怖がろう」と訴えていたが、何が「正しい」かは、底無し沼のように、とりとめがなくなる。
コロナは、新しい脅威だが、知見も増えている。責任ある関係者は、「ステイ ホーム」などとエモーショナルに訴えるだけでなく、科学的、合理的な知見や推測を、しっかり広めて欲しい。
だいたい、PCRで感染していないからといって、ウイルスを全く保有していない人は、もう世界中にいないはず。いるとすれば、仙人のような生活をしていると思う。
放射線と同じで、ウイルスは、誰でも保有していると考えるべき。ただ、その量が多いか少ないか、個人の免疫力の違いなどが、発症するかどうかを左右すると考えたほうが自然だ。
こう考えれば、他人の感染を不当に非難する根拠は失われる。
なぜ、専門家は、PCR検査の限界(所詮、加速試験のようなもので、検査時点での絶対値を示していない、など)を含む科学的知見を、しっかり言わないのだろうか?
感染経路不明で、自身も「心当たりが全くない」という感染者の声も伝わる。
しかし、そんなはずはない。感染リスクが高まる行動例の知見を充実しなければならない。
一向に科学的疫学調査をしようとしないで、濃厚接触者中心の検査にばかり、税金を使うのは何故だろうか。
0.1%未満の感染者の集団に対して100人の抗体検査を税金でやって、感染ゼロとアピールする意味は何なんだろう?
怪しいことが続く。
誰でもウイルスを保有しているという前提で、コロナと戦わない限り、日本は、このままでは、医療崩壊が起きる。
医療崩壊を望む勢力がいるのだろうか。
原子力と同じような間違いが、コロナ対策でも起きている。
そうして、人びとが疲弊し、無駄に金が使われ、将来に大きな負担がのしかかる。。