#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

3月11日と原子力発電

10年前の福島第一原子力発電所の大事故は、忘れられない。
原子力発電に関わる者は、会社や国が違っても、お互い人質同士で同じ船に乗って大海原を航海しているという共通認識を持てと鼓舞されてきた。これは、自己満足に陥ることなく、互いに切磋琢磨するようにという安全文化の真髄を象徴的に比喩したもの。
この日から、世界中の原子力関係者の多くと、日本の国民は、正真正銘の人質になってしまった。まさに、自虐的な例えだ。
既に50トンに近いプルトニウムがたまっているのに、「もんじゅ」はあきらめ、それを消費できる原子炉も自ら廃炉にしていくし、総理大臣経験者からも全面廃炉が叫ばれる。
安全対策は、果てもなく要求され、足手まといの施設や仕組みが膨張して行き、経済的にも心理的にも恐らく限界が来るだろう。
だいたい、原子炉ごとに、廃炉作業でも邪魔になるようなテロ対策施設を作るのは、クレージーだ。
どうせなら、国家的な安全防護の観点から、総合防災船的なものを数隻作って置けば、原子力だけでなく、各種災害時の救助、避難対応などで活躍できる。恐らく、2兆もあれば、できるだろうし、総合管理は自衛隊が適任。空母は持てなくても、防災用なら、可能なはず。
再処理施設の稼働は、逃げ水のように遠退くばかりだし、放射性廃棄物の恒久的な処分施設は、青写真さえ持てない。そもそも、再処理で分離されるプルトニウムをどう処理するのだろうか?
使用済燃料の再処理で出るいわゆる「高レベル廃棄物」だけでなく、それなりに高線量の「低レベル廃棄物」の最終処分も出来ない。
原子力から撤退するなど、廃炉が進めば、放射性廃棄物の最終処分は必須。原子力反対勢力も、真剣に考えているなら、具体的方向性などを提示する責務がある。
放射性廃棄物の最終処分は、地層処分になることは決まっているが、適地選定に向けた文献調査さえ出来ない。
地層処分は、世の中の他のリスクと比べ、格段に低いと推量されるが、説明会でも曖昧で説得力がなく、質問にも真っ正面から対応しようとはしない、お役所仕事。時に、その説明会が「やらせ」的と非難を浴びるためか、及び腰が続く。
私に1km四方の土地があれば、是非、手を上げたいぐらい。このプロジェクトは、あらゆる面で、持続可能性や安全度が高く、今流行のESG投資案件の典型ともいえる。
更地に戻し、廃棄物は県外に持って行くという今のままの福島第一廃炉計画では、血税と余分の電気代が支払われ続け、おそらく22世紀になっても、帰還や居住が出来ない区域は残るだろう。
この廃炉プロジェクトと日本の放射性廃棄物の最終処分とは、一体として考えることが、現実的。しかし、どこまでも建前論で、金と人と時を重ねる。八方塞がりだ。
何故、建前だけで本音の議論が、出来ないのだろう。福島事故は、建前の安全対策の欠陥がもたらしたものともいえるのに。
村人の多くは、自然災害がもたらす共通要因の事故シナリオを、おそらく本音では、恐れていたはず。
グーグルアースなどで一目瞭然の近海に横たわる海溝に目をやれば、何故、10年前まで、大津波に備えなかったのだろう??
移動タイプの非常電源と水密扉ぐらいあれば、危機は、しのげたはず。100億もかからなかったに違いない。
他の発電所への波及を恐れたのだろうか? 増設計画との引き換えでの廃炉を待とうとしていたのだろうか? 目先の業績を優先したのだろうか?
そもそも、近くに海溝が横たわり、大地震や大津波の危険性が、歴史などでも明らかであり、掘れば地下水があちこちから涌き出るようなところに何故、何基も立地したのだろう?
自らの供給区域には適地がないからといって、丘を削り、防潮機能を弱めていながら、対策を怠ったのは、東京から離れているから?
内部でも、対策の必要性が議論されたらしいのに、取り上げられなかったのは、なぜだろう?
房総半島などに立地していても、黙殺したのだろうか?
日本で一番、税金を使っている大学の出身者が多い企業が、このような災厄を起こす。
大学の教育内容も、しっかり、見直す必要がある。電気事業を実務で支えているのは、大学卒ではない。逆に弊害が大きい不適格者は、そちらに多い。中途半端な知識や価値観は、むしろ世のためにはならない典型例が、復興第一事故といえる。
会津藩を悲惨な結果をもたらす形で切り捨てた江戸幕府。まるで歴史が繰り返されたような構図だ。
本音で福島の復興やエネルギー戦略などを議論し、希望の持てる未来に向けて賢い道筋をたどっていくべきだ。