#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

板子一枚下

知床の海難事故は未だに捜索が続けられている。報道に触れるごとに、様々な問題が取り沙汰されている。その多くは、経営者の姿勢に向けられているが、待てよと言いたい。

たとえば、管轄の国交省監督責任自治体の観光支援態勢などに問題がないといえるのだろうか? 監査や検査などが書類中心で実効性に乏しいとの指摘なども、ぼちぼち報道されているが、数年前にも四国沖で旅客船が浅瀬にぶつかり沈没した事故を思い起こす。近くの漁船が全員を助けたが、これまでに、どのような改善を監督官庁がやったのかは知らない。

小さな船が北の海で単独航行をして、何かがあったときの対処方法が救命衣一つでは、助かるはずがない。絶対安全を声高に叫ぶ傾向のある我が国は、小さなことは何かと気にするが、大きなことには目をつぶることがよくある。2011年の原子力災害もその典型。

世界遺産に登録された彼の地の魅力は、その絶景だろう。私も若い時に北海道旅行をしたが、あまりにも時間がかかるので知床に行くのを止めた記憶がある。

折角来たのに欠航になれば、確かに不満も出るだろう。これまでにも、おそらく「条件付き出航」は、繰り返されたのではないだろうか。遊覧だけに頼らない観光資源やコンテンツの開発が必要だろう。

ベトナムの北に世界遺産ハロン湾がある。九十九島をスケールアップしたようなところ。湾内をめぐ船内宿泊を伴うツアーは、悪天候でも遭難するようなことはない入り江内でのクルージングで、船もそれなりに大きいが、天気予報をもとに厳格な出航規制が行われているようだ。私たちのツアーでも、そこへ行くバスの中で、その日の欠航の可能性が知らされた。選択肢は、「引き返して他のメニューに充てる」「とりあえず行って、停泊中の船に泊まる」。私たちは後者を選び、結局は出航許可が下りて、湾内を周航できた。

やはり、安全を基調とした出航許可基準によって、中途半端な「条件付き」は厳禁とすべきだ。船には途中で引き返せる保証はない。海水温度が低い期間は、単独運航の禁止、救命いかだ必須などが最低条件だろう。何よりも、監督側、運航者、利用者などの間のコミュニケーションが重要だ。危険性についても十分注意を喚起し、欠航時のオプションを用意すべきだ。観光メニューの多様化や充実を自治体なども率先してやらない限り、1年の半分以上は、閑古鳥が鳴くおそれがある。無理をする経営者などが出てくれば、悲劇は繰り返されるかもしれない。

一方、あちこちで同様の観光サービスがキャンセル被害を受けているようだ。キャンセルしたいという気持ちもわからなくはないが、しっかりした安全対策をとっているとすれば、残念なことだ。

リスクコミュニケーションは難しい。原子力でも失敗ばかりだ。ただ、「安全!安全!」というだけではいけないし、「このようにしているから大丈夫だ!」といっても、底が知れている。最悪のケースに対する備え、船の場合は、「沈没しても、このようにして救命できる」ということをしっかり伝える必要があろうし、それに対する脆弱性を常に点検し、改善して、それらの活動状況を適宜、伝えていくことが、リスクコミュニケーションの最低のライン。

我が国は、世界の陸地面積の約0.3%を占めるに過ぎないのに、マグニチュード6以上の地震は約20%、活火山は約7%を占める。いわば自然災害大国が当時、世界第三位の原子力大国でもあったのは、今にして考えれば身の丈を超えていたのかもしれない。長時間の全電源喪失事故はないとの仮説に寄りかかり、地震以外の自然災害リスクに向き合うことなく、すでにこのような事故に対して出されていた米国勧告を国内で共有せずに、有効な対策を怠ったことによる被害や損失は今も、そして将来も続く。さらには、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」かのような経済合理性のない安全対策を行いながら、いまだに再稼働できないプラントが多いなかで、いたずらに年月が経過し、安全対策費用を回収できるだけの発電もできないとすれば、どう言い訳するのだろうか。

丁寧で実効性のあるリスクコミュニケーションをベースにした安全対策をしなければ、今回の海難事故も変な方向に行くおそれがある。人生ではリスクと向き合うことが、その充実をもたらす重要な要素となる。その不確実性は挑戦する喜びともなる。健全なチャレンジは潤いや感動をもたらす。ただし、後戻りのできない危険は徹底的に排除せねばならない。ほどよいスリルを味わえる海や山での余暇は、賢く振興すべきだ。

バブル

集団には、さまざまな病的特性が共存する。一つは、「バブル」。これには、二つの意味があると理解している。一つは、文字どおり「泡」ともいえるもので、膨張して破裂したり、野心、夢や虚構であったりするもの。もう一つは、新型コロナ出現以降、その組織的対策の一つとして実施されているような「外界との遮断」。

ウクライナ危機でも、この「バブル」がいくつか見て取れる。

ロシアの膨張主義は今に始まったことではないし、歴史的にも、多くの国で散々繰り返されている。ロシアを非難している国々の多くも例外ではない。今頃になってロシアを糾弾しているEU主要国は、これまで加盟国を拡大してきた。ウクライナには、梯子を外された思いがあろう。

ヨーロッパの主要国に行ってみればわかると思うが、域内の途上国出身者に安い賃金で3K的仕事を任せて、虚ろともいえる繁栄を謳歌している。また、脱炭素をきれいごとのように声高に叫んで、ロシア依存症となり、この有り様だ。集団は大きくなろうとし、その過程で外界と隔絶して「独善」や「偏見」、「虚構」などがはびこる。EUも、もう少し謙虚で誠実であるべきだ。ウクライナ危機対応がバブルであってはならない。

マスコミや有識者には、なぜ、ロシアが戦争犯罪を認めないのか、残虐行為をやめないのかと憤りの声を上げているが、集団は自身に都合の悪いことには目を背けるもの。西側リーダーのアメリカは、湾岸戦争に向けた世論形成のための捏造をしたと聞くし、日本の真珠湾攻撃でも、いろいろなことがいわれている。日本も、太平洋戦争に負けるまで、他者に責任を転嫁したり、国民の言行を統制したり、フェイクニュースなども流したと聞く。戦争にはつきものだろう。嘆く暇があったら、実効性のある方策を提言したり、実行したらどうか。

原子力発電の世界も「原子力村」と揶揄される「バブル」が、あちこちで見られた。たとえば、「一致団結総合力」のキャンペーンを張り、そこのけそこのけで異分子や異論などを排除してきた。気が利くだけの才子やゴマすりが跋扈し、俗人的組織に陥り、親分を作り、その顔色ばかり気にしていく。目的と手段がひっくり返ったりする。価値や目標などの行き過ぎた共有は、集団の価値創生や持続可能性を阻害する。なぜ、この教訓がないがしろにされ、再発するのだろうか。これこそが、まさに「バブル」ともいえる。ウクライナ危機は、他山の石とすべきだ。

コンプライアンス」は、集団にとって、今や伝家の宝刀のような側面があるが、行き過ぎた側面もある。正義と悪との一方的対立だけに目を奪われてはいけない。いつか、この話もしたいと思っている。正義やコンプライアンスも「バブル」になってはいけない。実体があり、有効性や客観性、透明性が確保されるべきだ。

CSRも、いつのまにかSDGsに衣替えしているようだが、ウクライナ危機は、カーボンニュートラルのバブル性を示唆している。石油やガスや、あれやこれや値上がりしたと大騒ぎするだけ。だいたい、ウクライナ危機がなくても、「カーボンニュートラル」は、資源価格の高騰を招く。覚悟があるのかといいたい。「バブル」にならなければいいがと心配だ。

同じ穴の貉

今のウクライナが置かれている状況を私のような素人が語る資格や意義はないだろう。だが、今のSNS時代に、国連常任理事国の一つが、血縁・地縁を含め深くつながっている隣接国家への全面侵略による大量殺害・破壊を行っている姿をほぼリアルタイムで見聞きしてしまうと、国家という巨大な複合組織が持つ獰猛さに暗たんとなり、図らずもキーボードに向かってしまった。

マスコミ等の多くの論調は、国家元首の暴走と指摘しているが、一人だけでできるわけがない。多くの人や組織が強く関与しているはずだ。そう簡単に止められるはずがない。私は、今回の侵略の当事者について、今回どうのこうのと述べることは、とりあえず避けたい。

むしろ、日本を含む国際的な動きのおかしさに憤りを覚える。

例えば、ウクライナから自国民を退避させる一方で、ロシアにおける自国の活動・取引や自国民の帰国は躊躇している。少しずつ対応が進んではいるものの、なぜ、小出しで遅く、限定的なのか。算盤感情が優先するのか。この期に及んでも、ロシアの誠実さや信義を信じているのだろうか?  なぜ、自国民がロシアで拘束されたり、不当な扱いを受けるということを想定できないのか? 大使館などは、大使級の代表者を帰還させるなどの措置をなぜ取ろうとしないのか? ロシアに滞在すればするほど、偽りの情報や煽動などに取り込まれるリスクを考えないのか?

無人機もあるのに、なぜ、食料、飲料、医薬品などを支援しないのか? 赤十字や国連などは何をしているのだろう?

なぜ、ロシアからの石油、天然ガスなどの資源の輸入禁止を躊躇しているのか? 石油や天然ガス輸入禁止を宣言する国が出ているが、国際的協調のもと、一機にやらない限り、抜け道や迂回などで実効性はなくなる。

日本も、石油の約5%、石炭の12%、天然ガスの約8%をロシアに依存しているようだ。しかも、石油と天然ガスの多くは、もともと日本領土であった島からのもので、それらの開発にも深くかかわって来ている。未だに、取引を停止していないのは、約束事など平然と破る相手国に対して片思いの審議を貫こうとしているためなのか? 算盤勘定なのか? 日本が輸入しなくても他国に回るだけで実効性がないなどの言い訳が聞こえてくるが笑止といいたい。

だいたい、一方的に不可侵条約を破って日本領土を占領し、多くの在留日本人を長期にわたり過酷な条件で拘束し、戦後も、たびたび漁業関係者などを拘束してきた国との間で、まともな領土返還交渉が進むと信じているのか?  これまで、多くの血税や先端技術、人材などがロシアに流出して今の事態に至った一つの象徴的なものがサハリンプロジェクト。だれが責任をとれるのだろうか?

この際、止まっている原子炉を暫定的にでも起動させるべきだ。ロシア危機対応よりも、原子炉の再稼働リスクが大きいと信じているのか?!

カーボンニュートラルを唱えながら、原子炉を動かさず、再生可能エネルギーと、それに伴う負荷調整のために必要な天然ガスに依存するだけでは、ロシア危機に対処はできない。

ドイツの輸入天然ガスの半分以上はロシアからと聞いている。石油のほか、国内でも質の悪いものがいまだに豊富に採れる石炭さえ、ロシアが最大の輸入先とのこと。ずぶずぶの関係だ。そのようなところが、今回の危機対応にイニシアティブを発揮できるだろうか? 同じ穴のムジナといえないだろうか!! さすがに、ドイツにも原子炉の漸次閉鎖の国策を見直す動きが、ここに来てあると聞く。

ウクライナは、旧ソ連時代に欠陥原子炉を押し付けられたあげく、当局の指示による特殊試験で起きたとされる福島事故を上回る原子力災害の最大の被害者。今回、テロリストさえ行わなかった原子力発電所への武力侵攻によって占領された、このチェルノブイリ原発の事故炉の横に、事故後も10年以上発電してきた原子炉がある。石棺された事故炉以外の原子炉も廃止措置に移行しているから、いくらでも「ダーティーボム」の存在を捏造できるだろう。チェルノブイリ原発事故後も、福島事故後の日本とは違い、ウクライナはエネルギー源の多様化に努め、今の原子力発電シェアは、事故当時の3倍近くの5割を超えている。ドイツのように、天然ガスをロシアからパイプラインで提供されていれば、容易にウクライナを屈服できたかもしれない。原子力発電は有力な安全保障対策の一つだ。ただ、いずれもチェルノブイリと同じタイプで、黒鉛を含む多量の火災源があるので、占拠されれば心配だ。原子力発電所の占拠で、電力供給の遮断のほか、放射能汚染の恫喝に使うだろう。このようなことさえ、日本のマスコミや政府は包括的に伝えようとしない。

それぞれ違う側面はあるが、手をこまねいている限り、日本や欧米の多くの組織や人々は、加害国と同じ穴のムジナ、共犯者の側面を持っている。侵略が長引けば、軍需産業を含む特需が増えるはず。資源や穀物なども値上がりするだろう。窮乏する組織や人々が増える一方で、ほくそ笑む組織や人々も世界中に増える。

マスコミは今、「プーチン」個人のことばかり触れている。組織の罪はないのか? 欧米や日本にも、罪はないのだろうか? 

ウクライナは、旧ソ連解体時、米露に次ぐ核保有国であったと聞く。それをすべて廃棄するにあたっては、自らの核保有を棚に上げたうえで、核廃絶後のウクライナの安全保障を常任理事国などは約束したようだ。絵にかいたとしかいえない覚書が破られ、今も有効な支援が得られないウクライナの人々は、この覚書に騙されずに今も核を持っていれば、この惨事に見舞われなかったはずだと悔やんではいないだろうか。

世の中は、なんと不条理なのだろう。SNS時代では、惨事がリアルに伝わる。傍観している我々はなんと罪深いのだろう。同じ穴のムジナだ。

コロナ鬱

約8か月ぶりの投稿。記事を書く気になれないが、とりあえずキーボードに向かう。
空気感染リスクがあるのに、多くの人が電車やバスを利用すれば、どれだけ注意しても感染することはある。除菌・換気・3密回避といいながら、飲食店ばかり槍玉に挙げ、乗り物利用は仕方ないのか? とすればある程度の感染を許容しながら、社会を回していく方に舵を変えていくべきだろう。有名人だからいって、いちいち感染者を公表させ、あげくに、病人に対して「ごめんなさい」と言わせる社会は異常だ。
このような異常な状況で、私もメンタルがおかしくなってきた。アレルギー症状とオミクロン株の症状は、区別がつかない。引き篭もりになる。好きなスーパー銭湯、テニス、ゴルフの練習も躊躇する。子や孫にも合わない。
合理的、客観的に見れば、感染に過度のブレーキを掛けないで、検査・医療・管理態勢などが破綻しない程度に、感染者を増やしていくことが賢いはずだ。にもかかわらず、法律、行政、検査、医療、報道など、多くの分野で問題は一向に改善しない。共通するのは、客観性、合理性、臨機応変に作戦を変えていく勇気と知恵の欠如。軍国主義に染まった挙句の敗戦や原子力発電の失敗と通じるものがある。
過度の集団依存体質や協調性重視、既得権益への執着や責任回避が透けて見える。
近いところでも、屁理屈をつけて、3回目のワクチン接種の開始に8か月とかなんとかのインターバルを設けて、遅らせている。科学的検査や調査を一向に充実させない(やり始めたとの報道は聞くが、フォローアップ報道は聞かない)まま、今は検査キッドがないというだけで、必要な人に対する検査もできない。言い出せば尽きない。。
中途半端だが、疲れたのでとりあえずここまで。

UNDER24

サッカーでUNDER24は、24歳以下と言っている。だが規則では24歳は含まないので、ちゃんとした言い方の「24歳未満」と読んで欲しい。

本当にいい加減な民族だ。

UNDERとは、文字通り、「それの下にある」を意味するので、「24」は含まないことは一目瞭然。

日本語では、以下、以上、超、未満などの使い分けをしっかり共有すべきだ。

マスコミもなぜ、責任を果たそうとしないのだろうか?❗

1.3倍増加

テレビなどで、数字の扱いに戸惑うことがある。コロナ関連の報道でも数字のオンパレード。
たとえば、「1.3倍増」とか「130パーセント増」などと報道された時、視聴者は、どう受け止めるだろうか?
増加分が、1.3倍、130%とみなせば、2.3倍になったということ。恐らく、そうではなく、増加分は、0.3、30%といいたいのだろう。
なぜ、このようなあいまいで、いい加減な報道が改まらないのか、不思議だ。
増加分を強調したくば、3割増加、30%増加とした方がよい。
生データを尊重するなら、「前日値の1.3倍になった」、「宣言期間中の130%になった」などと「増加」という言葉を無くすか、使いたいのであれば、「1.3倍に増加」、「130パーセント」に増加と、増加の前に「に」という助詞を入れるべきだ。
毎日顔馴染みの首長ですら、1.3倍増、130%増などと口を滑らせてしまう。
また、数字をあげるだけで、参照すべき情報を明らかにしていないことが多い。
例えば、PCR検査の陽性者数は出すが、分母の被験者数が明らかにされない。最近、陽性率も報道されることが多くはなったが、中身が明らかでないので、信憑性に乏しい。分母をしっかり明らかにして欲しい。
変異株の陽性者は、若者に多いといわれているが、変異株ではない集団との比較データが明らかにされない。
自動車免許の更新時講習などでも、例えば、事故件数の年次推移グラフを見せて、「多くなった」などと指摘することがよくあるが、免許保有者数、その年齢区分、保有期間や車両台数など、事故に影響する諸因子などは言及されない。
データでものを言うときには、しっかり客観的に分析する習慣が必要。潜入感は危険だ。
このようにデータをぞんざいに扱う風潮に、大学入試などで数学が必須科目ではないケースが多いことが影響しているのであれば、見直すべきだろう。

スポーツマンシップ

またもやスポーツの世界で、ハラスメントや不合理な指導方法による被害を受けた選手の訴えが話題になっている。
共通するのは、属人的な態勢で指導が行われていること。ここでは細かなことには触れない。
このようなことが跡を絶たないのに、なぜ「スポーツマンシップ」などと、無条件にスポーツを讃え続けるのだろうか。
所詮、個人競技を除き、如何に相手を上手く騙せるかを競うもの。やればやるほど、全うな道筋を外れるリストを負う。
しっかりしたマネジメント態勢を作り、有効性を検証して継続的に改善しなければ、このような「事件」は繰り返されるはず。
少なくとも税金を、このような組織に使うのは止めてもらいたい。
私も中学でバレーボールをクラブ活動でやっていたが、何かと「うさぎとびで校庭3周!!」など罰を与えられたせいか、腰と膝を痛めてしまった。それ以降、団体に属しての指導を受けたことはない。
プロは別として、アマチュアスポーツの世界の健全性を徹底検証する責任が文科省当たりにはあるはずだが、そのような声はマスコミのコメンテーターなどからも上がってこない。
何か不都合があるのだろうか?

3月11日と原子力発電

10年前の福島第一原子力発電所の大事故は、忘れられない。
原子力発電に関わる者は、会社や国が違っても、お互い人質同士で同じ船に乗って大海原を航海しているという共通認識を持てと鼓舞されてきた。これは、自己満足に陥ることなく、互いに切磋琢磨するようにという安全文化の真髄を象徴的に比喩したもの。
この日から、世界中の原子力関係者の多くと、日本の国民は、正真正銘の人質になってしまった。まさに、自虐的な例えだ。
既に50トンに近いプルトニウムがたまっているのに、「もんじゅ」はあきらめ、それを消費できる原子炉も自ら廃炉にしていくし、総理大臣経験者からも全面廃炉が叫ばれる。
安全対策は、果てもなく要求され、足手まといの施設や仕組みが膨張して行き、経済的にも心理的にも恐らく限界が来るだろう。
だいたい、原子炉ごとに、廃炉作業でも邪魔になるようなテロ対策施設を作るのは、クレージーだ。
どうせなら、国家的な安全防護の観点から、総合防災船的なものを数隻作って置けば、原子力だけでなく、各種災害時の救助、避難対応などで活躍できる。恐らく、2兆もあれば、できるだろうし、総合管理は自衛隊が適任。空母は持てなくても、防災用なら、可能なはず。
再処理施設の稼働は、逃げ水のように遠退くばかりだし、放射性廃棄物の恒久的な処分施設は、青写真さえ持てない。そもそも、再処理で分離されるプルトニウムをどう処理するのだろうか?
使用済燃料の再処理で出るいわゆる「高レベル廃棄物」だけでなく、それなりに高線量の「低レベル廃棄物」の最終処分も出来ない。
原子力から撤退するなど、廃炉が進べば、放射性廃棄物の最終処分は必須。原子力反対勢力も、真剣に考えているなら、具体的方向性などを提示する責務がある。
放射性廃棄物の最終処分は、地層処分になることは決まっているが、適地選定に向けた文献調査さえ出来ない。
地層処分は、世の中の他のリスクと比べ、格段に低いと推量されるが、説明会でも曖昧で説得力がなく、質問にも真っ正面から対応しようとはしない、お役所仕事。時に、その説明会が「やらせ」的と非難を浴びるためか、及び腰が続く。
私に1km四方の土地があれば、是非、手を上げたいぐらい。このプロジェクトは、あらゆる面で、持続可能性や安全度が高く、今流行のESG投資案件の典型ともいえる。
更地に戻し、廃棄物は県外に持って行くという今のままの福島第一廃炉計画では、血税と余分の電気代が支払われ続け、おそらく22世紀になっても、帰還や居住が出来ない区域は残るだろう。
この廃炉プロジェクトと日本の放射性廃棄物の最終処分とは、一体として考えることが、現実的。しかし、どこまでも建前論で、金と人と時を重ねる。八方塞がりだ。
何故、建前だけで本音の議論が、出来ないのだろう。福島事故は、建前の安全対策の欠陥がもたらしたものともいえるのに。
村人の多くは、自然災害がもたらす共通要因の事故シナリオを、おそらく本音では、恐れていたはず。
グーグルアースなどで一目瞭然の近海に横たわる海溝に目をやれば、何故、10年前まで、大津波に備えなかったのだろう??
移動タイプの非常電源と水密扉ぐらいあれば、危機は、しのげたはず。100億もかからなかったに違いない。
他の発電所への波及を恐れたのだろうか? 増設計画との引き換えでの廃炉を待とうとしていたのだろうか? 目先の業績を優先したのだろうか?
そもそも、近くに海溝が横たわり、大地震や大津波の危険性が、歴史などでも明らかであり、掘れば地下水があちこちから涌き出るようなところに何故、何基も立地したのだろう?
自らの供給区域には適地がないからといって、丘を削り、防潮機能を弱めていながら、対策を怠ったのは、東京から離れているから?
内部でも、対策の必要性が議論されたらしいのに、取り上げられなかったのは、なぜだろう?
房総半島などに立地していても、黙殺したのだろうか?
日本で一番、税金を使っている大学の出身者が多い企業が、このような災厄を起こす。
大学の教育内容も、しっかり、見直す必要がある。電気事業を実務で支えているのは、大学卒ではない。逆に弊害が大きい不適格者は、そちらに多い。中途半端な知識や価値観は、むしろ世のためにはならない典型例が、復興第一事故といえる。
会津藩を悲惨な結果をもたらす形で切り捨てた江戸幕府。まるで歴史が繰り返されたような構図だ。
本音で福島の復興やエネルギー戦略などを議論し、希望の持てる未来に向けて賢い道筋をたどっていくべきだ。

コロナの死亡率

日本のコロナの感染率や死亡率は、他の多くの国よりも桁違いに低い。
日本では1日に、コロナ前でも3千人程度が死んでいる。この中で肺炎は300人ぐらいだろう。
コロナ患者の死亡者は、これまで1日平均20人程度、ピークでも100人程度だから、全体に占める割合が大きいとはいえない。
これは、極めて雑な推量だが、厚労省当たりは、超過死亡率などのデータを、しっかり公表する責務があるはずだが、どうも消極的なようだ。
数ヶ月遅れで、感染症疫学センターから公開されるデータは、歯切れが良くなく、回りくどいが、コロナの影響は、米国などと異なり、判然としないようだ。むしろ、感染防止対策が効いて、インフルエンザなどによる死亡が少なくなり、総じて、むしろ過少死亡といえるようだ。
コロナ対策は、だからといって手を抜いてはいけないだろうが、経済的困窮や生き甲斐の喪失などによる自殺者、特に女性の自殺者の明らかな増加(1日10人ほどの月もあるようだ)は、悲しい。
1日に20人程度のコロナによる病死は、他の病死を減らし、絶望による同程度の自殺をもたらすといえる。
過剰な自粛や治療は、考えものといいたい。
スウェーデンでは、80歳以上の高齢者には、原則としてICU治療はできないとのこと。
このような考えは、私は納得できる。少なくとも、私は、そうしたい。既に、チューブ人間にならない宣言書を用意している。そのよう延命治療は、もっと若い人に譲りたい。
日本は、尊敬死も許されないようだ。早く、法整備をしてほしい。
コロナワクチンの副作用が、盛んに報道される。摂取後、くも膜下で死んだと注釈なく報道する。少なくとも、同じ死因の死亡率と比較して議論すべきだろう。ワクチンで、くも膜下になったといいたいのだろうか?
騒げばいいというものではない。

モニタリング検査

やっと、無症状者を対象とするPCR検査をやるらしい。このような科学的な疫学調査の必要性は、1年前から、このブログでも明らかにしている。
どうせなら、無作為なモニタリングにとどまらないで、例えば、家庭、学校、病院、職場、職種など、カテゴリーや集団ごとの検査をやらないのだろうか。
症状がない感染者がいる限り、濃厚接触者に片寄った検査だけでは、クラスター潰しも上手くはいかない。
その濃厚接触者の検査も、傍目にはよく分からない基準で、裾切りが行われているらしい。
例えば、勤務者が感染しても、職場の幅広い範囲での検査は行われていないようだ。
折角税金を使って検査するのだから、科学的評価につながる方法を模索してほしい。
相変わらず、食事前後のマスク着用は、徹底されていない。テーブルにアクリル板や除菌液をおいている飲食店は多くない。空いているのに、わざわざ側に座る人がいる。
医師会の長は、「外に出るな、感染するな」と言うだけで、病院の連携を含む感染症治療態勢の強化など、自らに責任の多くがあることには、全く触れようとしない。欧米より格段に感染者が少ないのに、直ぐに受け入れに支障が出るのは、不作為の罪といいたい。
その指標の病床占有率にしても、その具体的定義があいまいで硬直化しているから、さじ加減で変わる。
データ処理も、アナログがまかり通ってIT化が進まず、手間がかかり、間違いも多くなる。。応援態勢も融通が効かないから、超過勤務も多くなる。
このような非常時には、組織の脆弱性が露になる。あらゆる面での不断の検証と具体的な改善対策が必要だ。
いつまでも、非常事態宣言だけに頼らないで、具体的な対策を明らかにしてもらいたい。

給料上げろ!!

日本は、いつの間にか、先進国からは落ちこぼれている。例えば、サラリーマンの給与水準も自慢できるものではない。
100パーセント子会社に出向、転籍の後、年金生活に入ったが、その会社の給与水準は、親会社よりも相当低い。子会社を守る法律は、実質的にはない。
会社法」は、子会社を守ってくれない。独占禁止法なども子会社には、適用されない。だから、優越的地位の乱用禁止なども適用されはしない。
訳の分からない指示や圧力もある。
日本の給与水準が、国際的に低下していった要因は、いろいろあるだろうが、非正規雇用の増加や労働者派遣法などに加えて、子会社の存在もあるだろう。
業務を階層化、多層化すれば、間接業務が増え、コミュニケーションは難しくなり、技術の空洞化も進む。
日本が復活するには、コスト低減ではなく、価値の向上にあるはず。
素晴らしい価値を提供する人材や組織には、相応の報酬を提供する必要がある。
兼業禁止などを就業規則等に今もかかげている組織は笑止。
会社に入って間もなく、組合のオルグかなにかの時、何故、兼業出来ないのか質問したが、組合は、全く反応しなかった。
欧米に行けば実感するはずだが、衣食住あらゆるサービスが、日本は安い。
中国の都市部を含め、アジアの少なくないところと比べると、安心して安いものが手に入る。インバウンドが増えるはずだ。
暇が出来て思うことがある。買いたいものが、店に少ない。
夏は暑く、冬は寒い日本。老人の多くは、胴長短足。大きな字しか見えない。入れたものが落ちにくい構造のポケットは多いほうが安心。家で洗濯でき、乾きやすく。ごわごわしない。
ボタンよりもホックが便利。
服を例にしても、たくさんあるが、多様なサービスが出来るはずなのに、まだまだ、数年の遅れがある。
イノベーションで賃金を上げよ!!

鎮圧宣言

栃木の大規模な山林火災は、8日経って鎮圧できそうだと報道されている。事実であれば、一安心。
原因究明や対策徹底が望まれるが、報道で気になったことの一つに、市長が、「鎮圧宣言」云々を表明していることだ。
鎮圧や鎮火の表明は、現地消防指揮者が行うものであって、自治体の長や対象物件の所有者などではない。関係規則等で明記されているはず。
このような大事なプロセスについて、いい加減なコミュニケーションをしてしまう日本は合理性を大事にする国家なのだろうかと疑問に思う。ムードや気配、空気がいつの間にか、支配してしまう。
誤解のない報道が望まれる例として気になってしまった。
合理性の固まりだけで成立する原子力発電が、にっちもさっちもいかなくなっている理由もうなずける。

マスクの付け方

よくマスコミに登場するような有名人のマスクが、裏表逆になっているのを、しばしば見る。
おもて側のヒダが下向きになるのが正しい付け方と言われている。
有名人を支える態勢の危うさが窺われる。
例えば、公職選挙法違反は、相変わらずなくならない。たしかに、現状に則さない奇妙な規制もたくさんあるようだ。おかしいなら、変えればいいのに、変える前に失敗する。
政治家を取り巻くガバナンスは、いったいどうなっているのだろう。
CSRやESG、SDGsも、ガバナンスは中核の課題だ。組織がガバナンスを怠ると劣化、消滅が速まるだろう。
マスクの付け方を間違うと、個人の健康リスクだけでなく、組織の存続リスクも大きくするかも知れない。

属人化した組織の顛末

オリンピック組織委員会のトップが変わるようだ。散々、非難する一方で、余人には変えられないと、持ち上げたり、依存したりする。
このような、ガバナンスが全く効いていない組織に、どのような権限やら、予算が張り付いているのか、組織体制や執行ルールなども、あまり報道されない。
議論の余地のない稚拙な発言の表面だけを非難するだけでは、何も変わらないだろう。
このようなことがあると、結局は、属人的な組織と見なして、トップの独走や独断、性癖等のせいにするだけで、組織全体の脆弱性を分析せずに、うやむやで終わる。
排水バルブを閉め忘れた職員に、損害額の半分を賠償させた自治体があるらしい。
その業務は、どのようなマニュアルや委託仕様書になっているのだろうか。
そのバルブの操作責任や開閉作業の手順は、組織として明確化していて、職員は、それらに違反していたのだろか。
何か問題が起きても、特定の個人を犯人にしてお茶を濁すことが多い。
失敗した個人を非難、排除するだけで、失敗から学ぼうとしない組織は、いずれ淘汰される。
オリンピック組織委員会は、トップが少し、場を賑わす発言をし過ぎて、脱線したようだが、組織的な背景が、きっとあるはず。現に委員の8割は男だ。他の委員は、何をしているのかといいたい。
日本は、組織的、体系的、戦略的、大局的な作戦が、下手だ。何かあっても、原因や責任があいまい。失敗から、学べない。
今回も、体調が万全ではない高齢者に、散々、嫌な調整やら、裏仕事をさせたあげく、失言をとらえて引きずり下ろす。背後で、したたかに動いている勢力があるはず。
間違いなく、東京オリンピックの開催は遠退いた。まさに、オーンゴール。

東京オリンピック開催せよ

東京オリンピック開催が怪しくなって来た。コロナと戦って1年が過ぎようとしているのに、何を学び、次に生かそうとしているのだろうか。暗然とする。
元々、オリンピックに個人的な関心や興味は特段なかったし、今もない。
これまで散々、資金や労力を使って来て、それらをドブにすてる愚策は、原子力などでも経験している。この国は、このような覚悟のない空気感や合理性のない主張に、国の命運を託すことが多い。
都合がいいところでは、アスリートを持ち上げ、都合が悪くなれば、奈落の底に突き落とす。
いたずらに不安や不信を煽り、人気や視聴率、支持率などエゴイスティックなものに捕らわれてしまう。
リスクにたいする賢い向かい方を何故共有しようとしないのか。例えば、ワクチンの危険性を挙げ、その普及に尻込みする論調が根強い。
ワクチンを射たないで感染して、自身を死傷させるリスクの方が、ワクチンの副作用よりも小さいと信じているのだろうか。あるいは、人に感染させることに無頓着なのだろか。
まるで、放射線リスクの捉え方と同じ。この世に絶対安全は存在しないのに、少しでも心配になると、合理的思考ができなくなる。
コロナ下でオリンピックをどう開催したらいいかを、何故共有しないのだろうか。
いろいろ大きな競技会が、開催されている。白旗ばかりを上げてはいない。既に実績を積み上げているのに、それらの教訓を共有しようとせずに、まるで、オリンピック開催を狂気の沙汰のように非難する。
どうしたら、国際社会の理解を上手く得ながら、開催に繋げようとしないのだろうか。
推進側でも、とんでもない言動を繰り返すリーダーがいる。それこそ、任命責任を問うべきだ。
このままでは、ウルトラシー(C)(今では死語か。Cではなく、今はウルトラアイ(I))でもない限り、開催は無理だ。太平洋戦争以降、日本は、敗戦を重ねるだけだ。