#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

祝 入学おめでとう

東大の入学式の様子をテレビで見た。会場に「祝 入学おめでとう」のサイネージが、掲げられていた。思わず笑ってしまった。「祝」か「おめでとう」は要らないだろうと思ったが、知の頂点を目指す東大だから、何か合理的な理由があるのだろう。私のような凡人には、その意味がわからない。調べると、あちこちで、掲げられているようだ。おめでたいことだから、固いことは言わずに、てんこ盛りで、祝う気分を表しているのかも。しかし、せめて「祝」と「おめでとう」が独立していることをフォントの違いや改行、飾り模様などで明確にしてほしい。

マスコミは、「東大王」などのタイトルで、クイズ番組を頻発しているが、視聴率が上がるのだろうか? 東大のブランドは、まだまだあるのだろうか?

これまでの学校受験や資格試験は、記憶力、推理力や忍耐力を問うもののように思うが、AIを含むデジタル化時代には、このような能力は、あまり役に立たないだろう。

専門学校で教えているが、教科書には、使い物にならないほど旧態依然とした、20年以上前に改訂したものもある。今となっては、多くの間違いがあるが、出版社は、一切修正情報を公開しない。放置している著者は、どんな心臓を持っているのだろう。

教えていて気になることの一つに、「答え」に執着する学生が多いこと。その結論に至るまでのブロセスや答えの不確かさ、曖昧さなどにあまり関心がない。これでは、課題設定力など、これからの人材に必要な力は身に付かない。択一式の問題ばかり与えることが、答えだけに執着する学生を多くしている要因の一つかなとも思うが、私もそのような問題を仕方なく出している共犯者。

記述式の問題を出したら、一体何点取れるのか想像するだけで怖くなる。

この学校では、国家試験の合格を教育目標の一つに掲げている。その試験は全て択一式で、なかには、マニアックなものを見かける。人の将来を左右しかねない試験や教科書などは、常に、その有効性や妥当性を検証して、見直してほしい。そうしないと、冒頭のようなコミカルな掲示物が頻発するかも知れない。