#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

あとまわし

人も組織も、ややこしいことは後回しにすることが多い。福島のトリチウム水放出騒ぎもその典型。今頃になって、切羽詰まり放出しようとするから、国際問題になって、政治的、経済的、社会的なリスクを極大化してしまっている。

だいたい、トリチウムが混じった水なんか、普通に川、雨、海に自然に存在する。宇宙線に混じった中性子と大気との核反応で日常的に生まれている。こんなものを今までタンクにためるばかりで、どうしようもなくなったから、事故後10年以上経って放出しようとするから、結局は税金の無駄遣いになってしまうし、かえって大騒ぎになる。

振り返れば、事故後、汚染水の海水漏出が止まらず、止水壁など、いろいろ苦心した時期がある。そのころでも、海底土の放射能汚染は数年で落ち着き、濃縮しやすい海藻などの汚染は、それより早く、魚類に至ってはさらに早期に放射能汚染が認められていない。なぜ、事故後、早い時期から、トリチウム水を放出しなかったのだろうか。無責任極まりない。10年放置しても、半減期からいえば、半分にもならない。タンクだらけになり、廃炉作業もままならないなど、とっくに分かっていたこと。関係者は、誠実にこの事故に向き合ってきたのだろうか?

トリチウム水を海に流すのに、10年以上躊躇するような国や関係者は、溶融した燃料など、事故炉から出る放射性廃棄物をどこにどう持っていくつもりなのだろう。正常に運転してきた数十基の原子力発電所から出てきている使用済み燃料や廃炉による中深度埋設向け廃棄物、再処理工場から出る高レベル廃棄物の処分などもままならないなかで、原子力関係者は、いつまで後回しにしていくのだろうか。

トリチウム水は、30年掛けて放出と聞くと正気かといいたくなる。正常に運転していた時の福島のトリチウム放出量を超えないようにしているようだが、福島はこの10数年間、正常に運転してきたのだろうか? 正常時と異常時は区別して当然だ。

事故後に発生したトリチウム水は全部一度に放出しても、世界中に存在しているトリチウム総量の千分の一にも満たない量らしい。福島のトリチウム総量は、フランスの再処理施設からの年間放出量の数十分の一と少なく、中国の年間放出量とも同程度だと聞く。30年の間に、タンクや放出施設に劣化が進んで、大騒ぎになることの方が気になる。トリチウムの生体濃縮を危険視する専門家や活動家もいるようだが、どれ程過大に見積もっても、バナナを食べるよりも影響は小さいはず。

放射能放射線は、ゼロが良くて、多いほど危険だという仮説に基づいて管理されている。ゼロリスク、二者択一の考え方は弊害の方が多い。ヒ素などの有毒物質を含むミネラルはないといけないが、多すぎると悪いことはだれも疑わないのに、なぜ、放射能放射線を極端におそれるのだろうか。放射線をゼロにしたいのであれば、鉛の壁の家の中で、水も食べ物も取らないことだ。極端なリスク感覚にとらわれず、賢く、リスクと付き合いたいものだ。トリチウムを騒ぎ立てる人は、カリウム40という放射能を多く含む、バナナ、ホウレンソウ、チーズなどを食べないのだろうか。宇宙は放射線放射能とともにあると言っても言い過ぎではない。それらが全くない虚構のなかで、生命体がこれまで存続し続けるということはあり得ないはず。

放出開始後、魚のトリチウムを測っているようだが、検出されるはずがない。税金の無駄遣いだ。東電は半数超の株を国が所有し、無駄遣いは全国民に影響を及ぼす。これから、30年間、なんやかんやで、無駄な金や手間をかけるのは考え物だ。誠実でわかりやすい形で進めてほしい。近くの国が、とんでもない言いがかりで禁輸措置など採っているが、この際、そのような国に頼らない施策を講じてほしい。

近くの国は、「核汚染水」と称して国内世論も煽って、迷惑電話が頻発したり、日本製品のボイコットが激しくなったりするなど、さまざまな反響があると、マスコミは垂れ流すばかり。おまけに、来日旅行者にわざわざインタビューして、間違った意見を紹介するばかりで、それを正す行為をなぜ行わないのか。

マスコミは、どこの国民なのだろうか。原子力や核問題になると、科学などそっちのけで糾弾したり、不安を煽ったりする一方、有力なエンタメ会社の性加害疑惑を長い間黙殺するなど、ご都合主義の悪い性癖はいっこうになくならない。

慰安婦問題、文化大革命、某国への帰国事業など、マスコミの無責任な報道の弊害がいろいろ浮かぶ。一番大きな罪は、敗戦にいたるまでの軍国路線礼賛だろう。

舌鋒鋭く切れ味がよいと評判の向きもある元テレビ局出身のコメンテーターが、トリチウムを「核物質」と呼ぶに至っては、開いた口が塞がらない。

「核」で汚染された排水ではないことが、しっかり伝わっていない。

総理も「誠に遺憾」なんて念仏みたいなことに止まらず、「核汚染水ではない」「あれが汚染水なら、貴方の国の方がたくさん放出している」などを、なぜしっかり発言しないのだろう。

国内でも、同じトリチウム排水でも、正常炉と事故炉では違うと訳のわからないことをいったり、中国などの主張を引用して反対したり、海外の一部の識者らしき発言等を引用して微量のトリチウムの人体への影響は明確でないとしたりするなど、風評被害や外圧誘導を先導するマスコミや政治・民間団体が多いようだ。フェーク、詐欺、煽動、さらには言論テロなどとどこがちがうのだろう。

それぞれの魂胆は見え透いているが、結局は、何の得にも解決にもならず、税金が冗費され、電気料金などの物価が不当に上がり、輸出や国内消費がしぼみ、福島の復興が遅れ、無責任が跋扈することは明らかだ。

関係者は、「トリチウムは放出後、海水中に検出されず」というに止めず、放出したものが核汚染水ではないこと、トリチウムそのものの相対的リスクが、内部被ばくの主因となるカリウム40と比べても格段に小さいことなど、科学的、客観的コミュニケーションをしっかりやってほしい。