#振り返り

これまでの会社生活などの振り返りや時事

権力による差別的言動

個人の差別的言動は、ある程度は仕方がないと思う。ただ、公的立場や組織人であれば、厳しく評価されるべきだ。
コロナでも相変わらず、おかしな発言が届く。
特定の地域を名指しして、来るなという。
生活圏のなかで、往き来することもあるだろうに。県境に住んでいれば、県をまたぐことは、普通の行為。
以前いた会社では、総務、人事や企画の関係者が、よくボードに座った。
組織のリーダーだから、素晴らしい言動をいつもしているとばかりは言えず、呆れるような言動も耳にした。
具体例は、まだ明らかにはしないが、リーダーの差別的言動は、一種の職業病、組織の病理ではと思っている。使命感やら自意識が不健全に増殖し、権力と責務とを取り違え、周りは、いわゆる「茶坊主」ばかりを据えてしまう。
この「茶坊主」は、なかなか賢く、いわゆる単なるイエスマンではない。時には、敢えて反対意見もいう。但し、いろいろ仕込んだ上でのこと。
直接関係ない人に仕事させて、手柄が自分にあったと、社外人に言わせることもある。競争相手を蹴落とすのも、部外者や社外を使う。
権力者は、猜疑心が強くなり、社内の声よりも社外の声に左右される。
電力会社は、何かといえば、メーカーは、どういっているかという。社員の声に耳を傾けなければ、社員はいらない、といっているようなもの。
尊敬する先輩は、メーカーの主張と戦って、会社を追われた。
私も、早々に追い出された。
おべんちゃらや、社交辞令は、絶対に嫌だ。早くに不当に死んだ兄妹に会わせる顔がない。
何故、ごますりや、要領がいい者ばかりを重宝がるのだろう。人を人事権で金縛りにするのだろう。
権力は、人事権。魔物のような力。これを味わうと虜になり、本当に挑戦すべきことが見えなくなる。
福島の事故の要因には、このような組織のなかの魔物があると思う。
本当に戦うべき相手が見えなくなるから、差別的発言もしてしまう。誰かの、何かの、せいにする。